1984年10月にラブコール・ベルが設置されました。愛の鐘を3回鳴らします。1回目は自分の身を清め、2回目は相手の心を呼び、3回目で二人の愛を誓います。3回愛の鐘を鳴らして恋人宣言!証として恋人宣言証明書を発行しています。
この付近の岩石は、プロピライトと呼ばれ火山活動が盛んな3500万年前に安山岩の割れ目から熱水が侵入して生成されたもので、それが長い間の風化により今日のような色に変わって今に至っています。
伊豆最南端に位置して岬先端には灯台や縁結びの神を祀る石室神社(岩をきり抜いて建てられた)があります。この神社の床は一部ガラス張りになっていて、真下に見える岩肌と海面はかなり迫力があります。岬先端からは、神子元島が眼前に見えて遠くには伊豆七島まで見渡すことができ、まさに爽快の一言に尽きます。灯台は明治4年8月21日に設置点灯されました。
駐車場から歩いて10分ぐらいで伊豆の最南端に到着!着いたらもう汗だく・・・でもこの景色を見てナットク!来たカイがありました。ナマ暖かい潮風に当たっていると、とても心地よくて、ここでぼぉー^о^-と、一日海を見ていたい、そんな気持ちになってきます。ストレスもどこかにぶっ飛んでいくこと「間違いない!」って、言ってた芸人さん最近見ないな〜?なんて思いながら水平線を見ていると、昔TVでやっていた「海のトリトン」を思い出して♪水平線のおわりにわぁ〜〜あぁぁ〜虹の橋があるのだろ〜誰も見ぃー〜ない〜未来の国を〜少年は〜探し求めるぅ〜♪広がる海のかなたからぁ〜あぁぁー〜あぁ〜−ダレカトメテクレ〜・・・ゴーゴートリト〜ンーゴーゴーゴーゴーゴー・トメテクレ〜ー!
真夏の祭典として400年前から続く伝統と勇壮さを誇る下田の祭りで、江戸時代第二代下田奉行、今村伝四郎正長公が創めて、大阪夏の陣に大勝した徳川方が大阪城に入城の際に打ち鳴らした陣太鼓をまねたものです。今村公は下田の民が元気になり、熱く燃え、一丸となれるものをという想いでこの祭りをハジメタと言われています。400年過ぎた現在も、今村公の熱い想いは今も下田の民の心の中に生きつづけています。歴史上や伝説上の人物をかたどった人形と太鼓を乗せた山車15台が繰り出し、お神輿とともに街中を練り歩きます。
8月の14、15日は下田八幡神社例大祭で、チョウドこの日に下田に来てしまいました。祭りを少し見ていこうと思い、どこかにバイクを置けるところがないかな〜と探していると、よってキナヨ〜、と気軽に声をかけてくれたおじさん、ここに止めていいよぉぅ〜と空いている所を指さして教えてくれました。バイクを降りるとすぐに酒のみなよ〜ぁあバイクも飲酒はダメか〜って、チョつと下田の地酒を飲みたかったけどガマンして、「このバイクはハーレーかい〜」って「そうですよ」とオレ、「チョッとまたがらして〜」とおじさん「いいですよ〜」とオレ、「でもマフラーが熱いから触らないようにね」って言ってるそばから「あチョー^W^」といきなりブルース・リーの物まねをして笑わしてくれたおじさんでした。そして、しその葉ジュースを出していただき次にスイカ、カキ氷とフルコースをいただき・・・今日の祭りのことをいろいろお話してもらい、これもヤッパリ、ハーレーに乗っているからかな〜と実感しました。またこのお店の中に入ってミルとそこは昭和初期にタイムスリップしたかの様なところでした。
ナマコ壁
盛り上げた漆喰がまるでナマコのように見えることからその名がつきました。白い漆喰部分は硝石や貝の灰に、ふのりなどを練りあわせて作ります。耐火性に加えて防湿性にも優れ潮風を防ぐのにピッタリだったことから、江戸時代、港町下田に数多く建てられました。漆喰の盛り上がりが高いほど家の格が高いとされていたそうで、中にはカマボコを貼り付けたように見えるものも。ナマコ壁の続く静かな街並みを歩いていると、江戸時代の港町にタイムスリップしたような気分になれます。
1854年ペリーと日米下田条約の調印式が行なわれたお寺。ペリー一行の応接所にもなりました。
開国にまつわるさまざまなドラマが繰り広げられた下田にはそのドラマの主役たちが今も街のアチコチにエピソードを残しています。日米和親条約を結んだペリー提督、アメリカ初代総領事を務めたハリス、また彼の元で働いていたのが、お吉。恋人との仲を割かれた上、唐人とまわりから白い目で見られ、あげく川に身を投じた悲運の物語はあまりにも有名です。
1854年ロシア使節プチャーチンと日露和親条約が調印され、翌年にはアメリカ使節アダムス中佐と日米和親条約の交換がおこなわれるなど外交交渉の舞台となったお寺です。